最初のシーン、主人公は10歳。両親に連れて行かれたフェリーニの『道』。映画で語られる意味がわからず「ディズニーのほうがよかった!」とボヤく。しかし長い時間が経つと...。
20歳の春、母に勧められてお茶を習い始めた主人公の24年間をじっくりと描く。常に一歩先を行くいとこの存在、就職での挫折、挙式2か月前に取りやめになった結婚、大切な人との別れ...。いつも側にあった茶道。先生を通して、生徒同士での会話から、そして自分自身の感性を磨いていき、様々な気づきを得る。
世の中には、「すぐにわかるもの」と、
「すぐわからないもの」の二種類がある。
すぐわからないものは、長い時間をかけて、
少しずつ気づいて、わかってくる。
子供の頃はまるでわからなかった
フェリーニの『道』に、
今の私がとめどなく涙を流すことのように。
それは例えば、水の音とお湯の音がわかるようになることとか、「いつでもお茶を飲みにいらっしゃい」と話しかける先生のすべてを受け入れる懐の深さだったり。
雨の日は雨を聴く。雪の日は雪を見て、
夏には夏の暑さを、冬は身の切れるような寒さを。
五感を使って、全身で、その瞬間を味わう。
近くまで来ているから。電話をくれた父の誘いを「用があるから」と断ってしまう主人公。しばらくして「お父さんが倒れた」と、連絡が入る。
犬が描かれた茶器は、12年にたった1回しか使わない。12年後がまた訪れるしあわせ。また今年もお正月が迎えられる喜び。
とても丁寧に描かれる24年間。たった1時間40分の映画なのに、とてつもないスケール感があり、ふくらみがある。
樹木希林さんが出演していなかったら(今の季節、比較的地味めな)この映画を観ることはなかっただろう。旅立ってしまってからも作品が残り、ちょっとした表情や目配りだけで、気づきをくれる存在。まだ観ていない作品もあるし、改めて見直すことで、どんどん気づきが増えていく気がする。
彼女はこの作品を撮りながら、次の次のお正月が自分にはやって来ないことに気づいていたのだろう。一方、「彼女はもうこの世にいない」という事実は、まだ受け入れられない。「冗談だったのよ」と言いながら、ひょっこり戻ってきそう。
そしてこの映画がすごいと思ったのは、個人的な細かい点を削ぎ落としているところ。
例えば、主人公がその後、結婚したのか、子供ができたのか、仕事は順調なのか、そういったことには触れられない。ただ、ラストシーンで、凛とした彼女の表情を見て、想像するだけ。
すばらしい映画を観て、気づきを得て、成長していない自分に気づく。精進していきたいと思う。
2020/03/29
新型コロナで、外出自粛の週末。Amazonプライムで、この映画を再度、観た。ウチでは映画をほとんど観ないけど、セリフをメモできるってすごい!と、今更気づいた。心おきなく号泣できるし。ラストシーン近く、素晴らしいセリフがあったので、メモしておきました。
それにしても、この映画を最初に観てから1年ちょっと、全然精進できてない(°▽°)
(樹木希林)
こうしてまた初窯がやってきて、まあ、毎年、毎年、同じことの繰り返しなんですけれども、でもあたし、最近、思うんですよ。こうして、同じことができるっていうことが、本当、幸せなんだなぁって、ねぇ。
(中略)
(黒木華)
世の中にはすぐわかるものと、すぐわからないものの2種類がある。
すぐわかるものは、一度通り過ぎればそれでいい。
けれど、すぐにわからないものは、長い時間をかけて、少しずつわかってくる。
子供の頃はまるでわからなかった フェリーニの『道』に、今の私がとめどなく涙を流すことのように。
(樹木希林)
ゆきのさん、のりこさん、
あなたたちも教えてごらんなさい。
教えることで、教わることがいっぱいあります。
(間)
(黒木華)
ここからが本当の始まりなのかも。