作家・佐藤愛子のベストセラーエッセイ集『九十歳。何がめでたい』を実写映画化した作品。
タイトル見たり、思い出したりするだけでも、思わずニンマリしてしまう。この映画を観てよかった!と思ったのは、ニンマリのツボを得た気がするから。
そう、廊下...ではなく、老化は必ず訪れるものなのだ。ただ、誰にでも平等に、ではないところがおもしろのかもしれない。
元気で、ボケていないのなら、それでいいような気もする。でもやっぱりひとこと言いたい時もある。
例えば、昔から使っているネット通販で、見事にまったく違う製品が届く。「返送したら返金する」と書いてあるけれど、謝罪がまったくない!「自分たちは間違えませんが、何か?」とでも言うように。「いや、君たちは間違えたんだよ」と口に出して言ったとしても、虚しく響く。
最近、友人に会うと、みんなやたらとアドバイスをしたがる。これもひとつの老化。
「この動画がおもしろいから、見て!」と言うから、見てみたら、全然おもしろくない。
「これを飲んだら、数値が下がったら、絶対カラダにいいと思う。飲んでみて!」
飲んでみたけど、おいしくない。おいしくないを遥かに超えて、まずい。いいと思って飲まないと効果は少ない。
「〇〇した方がいい。みんな言ってるよ」
みんな言ってる、は曲者。言った本人はしてなかったりする。
相手のことを考えず、相手も自分と同じだと思って勧めている。勧めるのって、楽だし。相手の話を聞いて理解するのは、だんだん難易度が高くなってくる。めんどくさいし。
「楽しんだもん勝ち」。
人を拒む頑固さはほどほどに、適度に人をアテにしながら、新しい価値観には「来たにゃ」と思いつつ、心の中でにんまりしながら、時に実際、にんまり顔になりながら、老化と仲良くしていこう。この作品には、そんな肯定感があると思う。
オフィシャルサイト:映画『九十歳。何がめでたい』|大ヒット上映中!