旧渋谷公会堂、現在のLINE CUBE SHIBUYA が近づいてくると、まわりの歩行速度が急激に遅くなった。見渡すと年齢層が一気に上がっていた。
すっかりキレイになった旧渋公で「〜歌手生活50周年記念〜 天童よしみコンサート 2022」は行われた。
ここ数年、若いミュージシャンのライブに行くと「もしかして、あたしが最高齢?!」って思うコトが多々あったけど、今回は「もしかすると、あたしが一番若い?!」。久々の感覚が蘇った。
演歌界の錚々たる歌手の名前が。北島三郎、八代亜紀、藤あや子、坂本冬美などなど。そして、子供時代、のど自慢大会で大ライバルだったという上沼恵美子も。
東京のど真ん中で開催される50周年コンサート、最初、少し緊張しているような印象の彼女だったが、どんどん声が出てきて、トークも絶好調。自虐ネタの1.5頭身とか、「よしみちゃん人形」付きのキーホルダーが「魔よけ」として女子高生に大人気になったネタとか。
「魔よけ」。
と言ってから少し間を置き、ふふふっと不敵に笑い、もう一度言う。「魔よけ」。
いや、「ふふふっ」と笑ったのは幻聴で、ただ間が空いただけだったかもしれない。その「間」の取り方が、絶妙なのだ。
女子高生にファンが増えたことで、「人間 天童よしみ」を知ってもらえることに繋がった、と続く。
下積みが長かった分、人間性が深まり、ユーモアが磨かれたんだろうなぁ。しかも、関西ノリのネタ尽くし。
1972年にデビュー、売れない時代が長く続き、いったんは大阪に戻った。歌謡教室をやったらいいのでは?と助言してくれる人もいたりして、「引退」という文字が頭をよぎることもあったが、なにくそ!とがんばり続け、『道頓堀人情』がヒットしたのが1985年。紅白歌合戦に初出場を決めたのが1993年。『珍島物語』をリリースしたのが1996年。
粘り強く、がんばる。歌が好きだから、がんばる。一緒に半生を歩んでいるような3時間。16:00開演→20分休憩→終わったのが19:20頃
最後の曲まで声が出続け、決して枯れない。すごかった!
休憩中、渋谷の風景。
「沢田研二のファンだった。過去形にして悪いけど、今の彼は、ねえ......」と言って、客席を見渡す。天童よしみのジュリーは、サマになっていた。自分の歌にしていた。
幼少時から憧れだったという美空ひばりの歌は、まるでご本人が天から舞い降り、乗り移ったかのような迫力。
コロナ仕様なので、声援は禁止なんだけど「よしみちゃーん」と呼んだ人がいた。
「確かに聞こえましたよね」と彼女は言って、うれしそうに見えた。あぁ、コロナ前のライブは声を出すのが普通だったんだよな、と思って感無量。それだけのコトなのに。
「拍手が力になる」とも言っていた。だから一生懸命に拍手する。
ドラムスは「ダディ竹千代&東京おとぼけCATS」などなど数々のバンドで腕を鳴らし続けてきた そうる透。昔の演歌や歌謡曲のようなオーケストラ編成ではなく、バンド編成。会場を仕切るスタッフも若い。
今回、彼女のコンサートを観に行くコトにしたのは、去年の紅白で、大阪桐蔭高校吹奏楽部と共演しているのを見たから。声が前にガンガン出ていて歌もド迫力だし、若い世代とコラボして、新しい息吹をどんどん取り入れていこうとするエネルギーがすごい。
そして、自分がやってきたことを次の世代に引き継ぎたい、そんな心意気もヒシヒシ感じた。ただそれは、決して押しつけがましくなくて、楽しみながら、シェアしようという感じ。コンサートでも大阪桐蔭の吹奏楽部がZoomで参加、共演を果たした。
知っている曲が流れると、思わず一緒に歌ってしまう隣りの席のおじさまや、ずっととは言わないけど、曲中含め喋りまくってた後ろの席のおばさまたちと一緒に過ごした時間は、忘れられないものになった。今度は、コロッケとコラボしているコンサートに行こうかな、と真剣に考える今日この頃。
2022/05/17 @LINE CUBE SHIBUYA
(敬称略)