往年のロックファンが人見記念講堂に集まった。1970年代風かつ年配の人たちがそちこちにいて、とても年季が入ってる。会場は満員で、静かな熱気に包まれていた。
「年季が入っている」がキーワード。本番はこれから。
まずCharのバンドが演奏した。
"SHININ' YOU, SHININ' DAY"
"空模様のかげんが悪くなる前に"
"ALL AROUND ME"
といった、本当に聴きたかった曲たちを演奏してくれて大感動!そしてラストは"SMOKY"。
"TOKYO NIGHT" を「三茶ナイト」と言い換えて歌ったりして、サービス精神旺盛。この曲、確かB面だったよな...と思い、後で検索してみたら、"逆光線"のB面でした。
ちなみにこのあたりの歌謡路線、"気絶するほど悩ましい"とか、"NAVY BLUE" などは演奏しなかった。当時、大流行していたジュリーっぽさを、誰かが狙ってたんだろうなぁ。
それにしても、歌声が本当に変わらなくてビックリ。10代後半の声と、60代後半の声が変わらないってフシギだけど、本当なんだよね。演奏中にちょっとだけ喋ったんだけど、喋る声も変わらない。歌うときとうって変わって低くてシブい、あの声。
Charのギターを聴いていたら、思い出した。大学の音楽サークルの友達だったか、Charのコンサートのアルバイトをした男のコがいた。リハーサルでマイクスタンドが倒れるアクシデントがあったそう。で、Charも一緒に倒れて歌い続けた。
「普通さ、自分も倒れたら音も乱れるじゃん。それがまったく声も音も乱れないんだよ。すっげえよな」
と彼は熱く語っていたけど、誰だったかは記憶の彼方。
そう、今も彼は変わることなく天才ギタリスト。アンコールはなかったけど、約1時間のステージが終わったときには、放心状態。
しかしまだまだすごいものが控えていたのだ。伝説を追体験するような時間がやってきた。
ウネウネした、ノイジーでディストーションかかりまくりのギターが21世紀の人見記念講堂に響き渡り、ほどなくカルメン・マキが降臨。時代の渦に巻かれて、半世紀前にタイムスリップ!しそうになったが、今はコロナ禍。観客はとてもおとなしい。右隣りの男性がノリよく、つつましやかなヘッド・バンギングを繰り返していた。
「戦争!反対!」を歌に入れ込む。年季が入った筋金入りの、これがホンモノの反戦だ...と、大先輩たちに大拍手。
最近の若者は、コンテンツが多くて忙しい。ドラマは1.5倍速で見て、ギターソロをスキップして聞くという。
そんな「タイパ」の時代に、1曲15分を超えるような、組曲的ロックはどう映るんだろう。あっちに行ってウネウネして、もっと向こうに行ってまたウネウネ、メインのパートに戻ってくるまで、壮大な時間がかかる。それがたまらない。
ラスト曲の前、カルメン・マキはステージの上で、唐突に喋り始めた。
「あたしの声が大き過ぎる。ほとんど勘で歌ってる。みんな、あたしの声、聞こえてるでしょ?」
そして『私は風』を歌った。音の変化はわからなかったけど、そのあと彼女は何もコメントしなかったので、ボーカルのモニター音量は下がったのかもしれない。
「新潟の柏崎で、あの時はモメたなぁ」と、『私は風』を作曲した春日博文が、しみじみつぶやいた。当時のドラムが今回のCharのドラム。長い時間が流れた。
ステージの最後、CharとマキOZが一緒に演奏したのは "Somebody To Love"。今度はGrace Slick が降臨したかのような錯覚に陥った。憑依したのかも。声がそっくり。カルメン・マキが歌い出した時、一気に1960年代にタイム・スリップ、時空を超えて Jefferson Airplaneのライブ会場に紛れこんだ。
昔々、いろいろあってCharが芸能界から干されたとき、手を差し伸べたのがカルメン・マキだという話を、ネットで見つけた。
若いとき、彼らの音楽を聴いて育ったって、宝物かも。これからも音楽とともにいこう♪ と思った夜だった。
(敬称略)
追記:人見記念講堂は、音もいいし、レトロ感もあっていいにゃ。