破壊され、瓦礫になってしまった町が、上空から映し出される。
人間だったということがわからないほど痛んだ遺体が次々と掘り起こされ、無造作に片付けられていく。黄色と黒の躯体「CAT」のショベルカーで。
『ISとの戦闘で瓦礫と化したシリア北部の街で、大学生のディバロンは手作りのラジオ局をはじめる』
『ラジオから聞こえる「おはよう」が、今日も街に復興の息吹を届ける』
ドキュメンタリー作品。映画館で「観る」けれど、描かれていることは、すべて現実。
「ちゃんと当たったわ。撃たれて倒れてたもん」。まるで八百屋のおじさんにオマケしてもらった時のように、少しうれしそうに、はにかんだ笑顔で戻ってくる女性兵士。
銃弾が当たったら、死んでしまうのに。男性だけでなく、女性たちも我が町を守るために、命をかけて闘う。
捕えたISの兵士を尋問するシーン。尋問する側の女性は、薄く笑っているように見える。嘲笑うのではなく、笑顔に近い表情も見せる。人間は憎しみが極まると笑うのか?
お母さんと娘との会話。お母さんは、娘に幸せな結婚をしてほしいと望む。娘がFacebookの友達一覧を母に見せ「この人は、どう?」と訊くと、母は一瞬間を置き「アラブの名前だね」と返す。人種の問題をちょっと棚に乗せたとしたら、ごく普通の母娘の会話。
スマホがあって、Facebookで繋がり、セルフィーで撮る。どんなに戦闘が激しくても、爆撃に晒される日々でも、日常は続く。戦争が終わると、公園で、女のコがバイクに二人乗りして、開放感と解放感を全身で表す。
後半に出てくるセリフ。
『閉めていた店をまた開いた女性がいました。戦士だった鍛冶屋がまた鉄を打っています。私は人を信じ、生きることをあきらめません』
こんなに追い詰められても、人を信じようとして、生きて行こうと決意するのなら、こんなに恵まれた日本だったら、もっと幸せを満喫できるはず。
もっとできることをやらなくちゃ。幸せな今にもっと感謝して、キレイゴトを言うようだけど、幸せをシェアしていかなくちゃね。
オマケ:本当にどうでもいいコトだけど、この映画に出てきたWindowsパソコン。アイコンやタスクバーが右から並んでいたのが、エキゾチック。