「みんな、いなくなっちゃうんだなぁ」
もうすぐ引っ越す と誰かが言うと、今まで楽しそうに笑っていた82歳の男性は、急にしんみり、小さな声でつぶやいた。
心の声を聞いてしまったような、気まずさ。聞こえなかったふりをして、会話を続けてしまった。
訪問した仮設住宅は、閉鎖が決まっているそうだ。跡地の運用方法も、すでに決まっているという。
参加させてもらったのは、被災地で地域密着型のボランティア活動を行っているNPO法人。定期的に仮設住宅を訪問し、一緒にお茶を飲んだり、お話を聴いたり、手芸やカラオケを楽しんだり。震災直後から、現地で地道に、脈々と、活動を続けている。
仮設住宅訪問から戻り、銭湯に行った風呂上がり、番台の女性と世間話をしていたら、震災の話に。30分以上も。彼女は、何度も何度も繰り返した。
「地震が来たら、高いところへ逃げなさい」
「とにかく一番高いところに逃げて、絶対安全だとわかるまで、家に戻っちゃダメです」
「わざわざ東京から来てくれて、ありがとう。ぜひ、学んで帰ってくださいね」
そして、彼女は、話を続けた。
「手をつないだまま津波に流されたご夫婦がいた。津波の力って、ものすごいでしょ? だから手が離れちゃったの。手が離れたのは、津波の力のせいなのに、生き残った人は『自分が手を離したからだ』と、自分を責め続け、一人残って仮設で暮らしているんです」
また、別の人は、こういう話をしてくれた。
「若い人は、この町から離れ、仙台や盛岡に行きたがる。盛岡は人口30万人。ここはかつて岩手県第二位の街だったけど、今や人口は3.7万人。実際には3万人住んでいるかどうか。このままだと、釜石は年金生活者だけが残る町になってしまう」
今年3月オープンしたイオンに足を踏み入れると、唐突に、今どきのショッピングモールの空間が広がる。この落差...。
今回のキーワードは、落差でした。
震災は東京では「ひとつの出来事」になってしまったかもしれない。でも釜石では、震災前には戻れない現実と常に向きあって生きている。同じ日本なのに、とてつもなく大きな落差があって、その落差は時間が過ぎるにつれて、どんどん大きくなっているような気がする。
そしてもうひとつ感じた落差は、ボランティアの意識。震災から3年以上過ぎた現在も積極的にボランティアを継続しているみなさんは、とても意識が高い。となると、ボランティアしてみたいと、ふと思って参加する人には、敷居が高くなっているかも、と思ったりもした。
「また来てね」
仮設住宅を後にするとき、そう声をかけてもらった。なるべく早くまた行こう。あーだこーだ言ってるより、それが一番!