人を笑わせるって、すごく大変なこと。なのに渡辺えりは、ポスターを見るだけで、ステージに登場するだけで、思わず笑ってしまう。幸せな気持ちにさせてくれる。生で観られてよかった。上から目線な言い方かもしれないけど、うまい。演技力がすごい。
快進撃は続く。渡辺えりの故郷、山形での公演は5/18。
ネタバレは書けないけれど、オフィス3○○のサイトを見ると、雰囲気はわかるかも。東京公演は終わってしまったけれど、見るチャンスはまだまだある!
(敬称略)
ちょうど時間が合ったので、ゴージャスにロマンスカーに乗ることにした。町田まで28分。車窓からも桜が楽しめた。
あっという間に到着。
町田でJR横浜線に乗り換え、一駅。ここに来たのは、コロナ禍、町田で乗ったタクシーのドライバーさんが「このあたりで一番キレイな桜は成瀬」と言っていたから。
噂に違わず美しかった。しかもみんな礼儀正しく見ている。寄る年波か、桜は静かに見たいと思うようになった。
町田市立総合体育館。ありがたくお手洗いをお借りしました。内部はややレトロ、売店があったりして懐かしかった。
見ても、見ても、キレイだと思う。
成瀬駅に戻る道で。
成瀬駅前、りそな銀行とタリーズの合体型店舗。どちらかと言うと、りそなが間借りしている感じ。世の中変わるぞ的芽生えは(すでに大きく変わりつつあるけど) こんなところにも。
結局は子供の頃に食べていたコロッケとか、ラクトアイスとか、ハンバーガーとか、そういうものが好き。2月〜3月にかけて松屋でやっていた期間限定のシュクメルリ定食、本当においしかった。
定番化して欲しいのはやまやまだけど、真夏は暑そう。せめて、また来年の冬、食べたい!
食レポは、この記事が笑えて好き
【実食レポ】“白米キラー”松屋の「シュクメルリ鍋定食」が3年ぶり復活発売! ニンニクを少し増やしたらしいけど……? | マイナビニュース
オゼールにひさびさ行ったら、閉店してた。最近は頻繁ではなかったけど、長〜く通ってたし、たくさん思い出があるお店なので、さびしい。でも競争が激しい表参道で、30年以上営業してたなんて、あっぱれ!だよね。でもさびしい。
交差点のみずほ銀行は、仮店舗に移転するそうだ。みずほが富士銀行だった時代、外国人モデルのマネージャーをしていた頃、よくこの建物前で待ち合わせしたなぁ。
善光寺の桜。人が少なくて、静か。
似ていない?!大谷翔平のイラストが描いてある場所には、24時間営業のミニ・スーパー「AZUMA」があった。
かつて向田邦子さんが住んでいたマンション。ずいぶん前に建て替えのお知らせが掲示されたが、まだ照明がついてる部屋がいくつもあった。
コム・デ・ギャルソンらしいメッセージだと思う。
MA-JI MASATOMO
シャトー東洋は、青学の幼稚園の近くにもある。
青山墓地。
行き着く先は、かおたん。やっぱり塩ラーメン。
西麻布にシャトレーゼが出来てて、ビックリ。
西麻布交差点の桜。
ホブソンズ!!!
昔々、ここは霞町でした。
メンテルスは建物そのまま、名前を変えて残っている。西麻布には結局、地下鉄が通らなかったから、いい意味で昔っぽさが残っている気がする。
東急ホテルズ、23年に都内2店閉業 赤坂の大型ホテルも - 日本経済新聞
この記事を読んでから、ずっと行ってみようと思っていた赤坂東急(本名:赤坂エクセルホテル東急) 。なんとか解体前の勇姿に会えた。
その前に。「ベルビー」という名前が残っていることに感動。ロゴも同じ。
すでに解体作業が始まっていたが、なんとか間に合った。
昔々、誰かと泊まったような気もするし、泊まらなかった気もする。時間が経つって、そういうこと。
赤坂東急と繋がった歩道橋も閉鎖され、もう昇れなくなっていた。歩道橋も時代に飲み込まれた。
またひとつ昭和な風景がなくなっていく。
駅を出たところの風景は変わらず。曇りだったせいもあるかもしれないけど、麻布台ヒルズとか、新しい施設がどんどんオープンするこの頃、輝いていた赤坂見附がレトロな街になりつつある気がした。
坂本図書入口ドアの写真を、スマホで撮っていた人がいた。やっぱり、こういう世の中になってくると、写真に残さないと行った気がしなくなっちゃうのかもしれない。
あたしも撮りたかったけど、心を鬼にして(大げさ?!) 撮らなかった。写真はないけど、外の風景、中の風景、ちゃんと脳内に刻み込まれている。昔話をすると、昔は写真なんて旅行とか、結婚式とか、特別な時しか撮らなかった。それでも日常のコトは、ちゃんと覚えてる。ま、若かったからかもしれないけど。
で、坂本図書。去年はなかなか予約が取れなかったけど、今は落ち着いたよう。今、予約サイトを見たら、今月(2024年3月) もちらほら空いていた。
場所も雰囲気も想像とは違っていた。180分3,300円 ワンドリンク制はちょいと高めだけど、今までに体験したことがない時間だった。読書家ではないけれど、坂本龍一の蔵書に囲まれた空間で過ごすのは、時空を超えて旅行しているみたい。ウチにある本と同じ本を見つけた時は、トキめいたなぁ。
「自分がいなくなった後の世界」のことを考え、残された時間を生き、行動するって発想。大切なことを教えてもらった。『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』も読まなくちゃ。
読みながら涙💦涙💦 坂本龍一さんは師匠 「非戦」へ小さい声でも 吉永小百合さんの覚悟:朝日新聞デジタル (有料記事)
渋谷FMで13年間、鮎川誠さん、シーナさんと番組を担当、公私共にたくさん交流があった山名昇さんが「鮎川さんに教わった歌」をレコードでかけるイベント。かぶりつきの?!カウンターで話を聞かせてもらった。
Nitty Gritty Dirt Band の "Mr. Bojangles"。昔、鮎川さんが出演していたコマーシャルのBGMだった曲。という話を聞いてもピンと来ない。YouTubeにあるという話だったので、軽い気持ちで見てみたら、感慨。昔のコマーシャルはいいなぁ。イメージ先行なんだよね。日本の会社のウィスキーのコマーシャルで、なぜアメリカンな家? 部屋? ミスター・ボージャングルズ? そんなことはどうでもいい。そういう時代だったんだから(と、あたしは思う)。
Jane Aire & the Belvederes / When I Was Young っていう曲、知らなかったけどカッコいい。って、この日かかったのは知らない曲がほとんど。ちょっとビートが速くなったり遅くなったりするような気もするけど、そんなことは関係ない。ロックなんだから。
Jane Aire & The Belvederes - When I Was Young - YouTube
鮎川さんとシーナさんが、Route66を走り、アメリカをクルマで旅したというエピソードも。こんな曲がカーラジオから流れていたんだろうか。
鮎川さんはジョニー・ウィンターの「しつこいギターソロが最高」と言っていたそう。
ちょいと書かないほうがいいような昭和の香りも交えつつ、鮎川さんが追求し続けた音のルーツがわかったような気がした夜。そういえば、Yoko Ono の "Kiss Kiss Kiss" がかかった。あの時代は、こういう曲が許されたんだよね。
Kiss Kiss Kiss - Yoko Ono - 1980 - YouTube
キャンセルになってしまった、去年1月の鮎川さん@京都 磔磔での配信ライブ。チケット、買ってたんだよなぁ。実現していたら、どんなライブになっただろう。
2024/02/02 @quattro labo, Shibuya Tokyo
「いつしかヒット曲も途絶え、そうこうしているうちにトーク番組の話が来た。『ミエと良子のおしゃべり泥棒』。ババアになってきたら、年寄り劇のプロデュースをやって...」
ちょっとダルそうに話す中尾ミエは、例えようもなくカッコいい。大好きなんだよね、こういう生き方。生き抜く意欲をジョークのベールにさらっと包んでいる感じ。
そのミュージカル「ザ・デイサービス・ショウ」の出演者たちが、続々登場。まずは、モト冬樹。往年の「渡辺プロ」メドレーをデュエット。
彼女は30年間ナベプロにいて、独立して30年。最近、またナベプロに戻ったそう。ちなみに現在の社名は、株式会社ワタナベエンターテインメント。
当時はナベプロの黄金時代だったが、所属していたタレントたち、ドリフ、クレイジーキャッツ、梓みちよなど、次々と鬼籍に入ってしまった。
ちょっと湿っぽくなったところで、尾藤イサオ、正司花江、光枝明彦らが舞台に上がった。花江師匠はパワー炸裂だし、光枝明彦は飄々とし過ぎかもしれないし、そして尾藤イサオはロカビリーで、大爆発した。
「弟のようにかわいがってもらった...(間) エルビス・プレスリーの...」(爆笑) と前置きして、プレスリーのカバー曲を歌った。もう身に染み込みまくってて、若い時に身につけたものって、いくつになっても再現できるんだなぁ。
そういえば彼、「1986」と大きく書かれたコシノミチコのスウェットシャツを着てた。もう懐かしくて、懐かしくて。
話は主役に戻って。心底聞けてよかったのが『片想い』。昔々、ヤマハが合歓の郷で開催していた音楽祭で聞いて大好きになり、奪い取った(笑) とご本人は言っていた。
ま、実際は、埋もれてしまうのは惜しいほどいい曲なので、同じ事務所だった中尾ミエがカバーしたということらしい。
毒舌に包んだ人間味があるんだよね。ご本人は「生き残る秘訣」って言うかもしれないけど。
「残された時間を楽しもう!」というメッセージが、ヒシヒシと伝わってきた。
泣いても笑っても、満足しててもしてなくても、しあわせでもそうでなくても。わかっちゃいるけど、案外、楽しく生きるのはむずかしいのかも。
ゲストが盛り上がると...。
「誰のショーだかわからない」
高齢のゲストたちにボヤくと...。
「ほっといたら、ずっと喋ってる」
好かれる毒舌、なんて魅力的なんだろう!
ちなみに「ミエと良子のおしゃべり泥棒」は、YouTubeにアップされていた。武田鉄矢と吉田拓郎がゲストで、タバコを吸いながらトークしたりして、隔世の感。ドラマの「不適切にもほどがある」を地でいってる。世代的には、こういうのを見ると、なんか落ち着くんだよね。
ミエと良子のおしゃべり泥棒 吉田拓郎/武田鉄矢 - YouTube
(敬称略)
2024/02/9 @有楽町 I'M A SHOW
キャロル・キング ホーム・アゲイン ライブ・イン・セントラルパーク
前半はピアノの弾き語り、後半はバンド編成。初々しくすら思えてしまうほどのキャロル・キングが、スクリーンを通して体験できる。思わず拍手しそうになるくらいの臨場感。
ラジオ関東(現:ラジオ日本)の「全米トップ40」を聞いていた世代。1973年のキャロル・キングはリアタイで知っているけれど、このライブ映画を観ていて「なるほど〜」と思ったのは、彼女の変化。
『つづれおり』(Tapestry) で一世を風靡し、この映画のライブが行われたすぐ後にリリースした『ファンタジー』というアルバムからの曲が、たくさん歌われている。"Corazón" というスペイン語の曲を筆頭に、変化球というか、キャロル・キングのイメージとはちょっと違う曲たち。
それはもしかすると、彼女の新境地だったのかもしれない。当時、どこかで感じていた違和感みたいなものは、キャロル・キング的ではない作品への想いだったのかも。そんなことを半世紀も経ってから思ったりした。
この作品の公式サイトにはセットリストもある。"It's Too Late" や "You've Got A Friend" は載っているけど、もしかすると聴きたい曲はリストにないかもしれない。それにしたって、これは歴史的で伝説的なライブ。どうして半世紀も経ってから公開されるのかは謎だけど。
ま、『サマー・オブ・ソウル』も公開は2021年だったし、あの時代を追体験できるのは、素晴らしいこと。外国人ミュージシャンの来日は、レアだったあの頃。
2000年代に入ってから、キャロル・キングは3回も来日していたことを、検索で知った。行きたいと思ったら、その時に行かなくちゃね。コロナ禍が終わり、たくさんの来日公演がある2024年だからこそ。
2024年2月 @下高井戸シネマ