京橋のフィルムセンターで行われていた上映企画「EUフィルムデーズ2017」(2017.5.26〜6.22)
欧州連合(EU)加盟国の近作を一堂に集め、ヨーロッパ社会・文化の多様性を紹介するユニークな映画特集(ホームページより)
「映画で旅するヨーロッパ」なんてサブタイトルもステキ💕 地元密着型?!の映画を25か国から集めて、一挙公開! 一般公開はちょいとキビシそうな作品が多い印象だけど、スクリーンに吸いこまれ、主人公といっしょに旅ができそう。
ということで、旅に出たのはスペイン、作品タイトルは「フラワーズ」。スペイン映画だけど、全篇バスク語。惹かれる〜。バスクについては、後ほど。
以下、ストーリー詳細。ネタバレバレなので、もし「どこかで観るかも」と思っている人は、読まないでにゃ。
更年期を迎えたアネは、夫との関係も倦怠気味。そんな彼女のもとに、差し出し人不明の花束が届くようになる。最初は訝しがっていたアネだが、だんだん花束を心待ちにするようになる。
一方、ベニャトとルルデスは、子供ができないことを義母のテレに責められ、夫婦仲がギクシャクしている。箸の上げ下げまで厳しく注意し、自分のやり方を押しつけるテレの態度に、ルルデスは疲弊していた。
そんな妻と母の間に挟まれ、真面目で優しいがゆえ、ベニャトは苦悩する日々を送る。そしてある雨の日、ベニャトは考え事をしながら車を運転、カーブを曲がりきれず、交通事故で亡くなってしまう。
息子の死をキッカケに、テレは仲直りしようと持ちかけるが、ルルデスは拒否。亡き夫が大切に育てていた花もゴミ袋に突っ込み、捨ててしまう。
アネのもとに届けられていた花束は、ベニャトが亡くなると、ぱったり途絶えてしまう。他にもいくつかの符合があり、職場の同僚でありながら、言葉を交わしたのはほんの数回しかなかったベニャトが花束の送り主だったと、アネは確信するようになる。
一方、万が一のときには、検体するとサインしていたベニャトの遺体は、医学部に保管されることになった。
「息子の遺体は、いつ戻ってくるのか?」。検体に反対していたテレが尋ねると「4〜5年はお預かりすることになります」という返答だった。
3年後。
ふとしたキッカケで、アネとテレはお茶を飲んだり、語りあったりするようになる。子供時代のベニャトのビデオをいっしょに見たりもする。幼いベニャトは山あいの風景で、羊と戯れていた。
ルルデスには新しい恋人ができたが、ベニャトの死を受け入れられず、事故現場に足を運ぶこともできずに、鬱屈した日々を過ごしている。そんなとき、事故現場に定期的に花がたむけられていることを知り、誰かを突き止めようとする。
ヒッチハイクで事故現場に通うアネの存在を知ったルルデスは、偶然を装い、アネをクルマに乗せる。お互いまったく面識はなし。ルルデスはアネに事故現場に通う理由をさりげなく尋ねるうちに、問い詰めてしまう。
身の危険を感じ、クルマから無理矢理降りようとするアネとルルデスは揉み合いになってしまう。「ドン」という鈍い衝突音。様子を見に、恐る恐る車外へ出る二人。そこに横たわっていたのは、一頭の羊。しかし二人が覗き込むと、弾かれたように立ち上がり走り去っていく。アネもどさくさに紛れて、逃げ帰る。
さらに2年後。
医学部に検体したベニャトの遺体は荼毘にふされ、ルルデスのもとに戻ってきた。自分が遺骨を持っているべきか悩んだ彼女は、アネのもとに遺骨を届ける。しかし「自分は適任ではない」と言われ、ベニャトの母テレのもとへ向かう。
テレは認知症になっていた。息子が死んだこともわからず、あんなに憎んでいたルルデスに子供のような穢れのない、満面の笑顔を向ける。泣き崩れるルルデス。
ラストシーン。事故現場で、こころ穏やかに花をたむけるルルデスの姿と、花のアップで、映画は終わる。
ベニャトを巡る女性たちの心のひだをきめ細かく、時間の経過とともに起こる変化に沿って描いた、すばらしい作品。観てから半月近く経ったけど、今でも思い出すと、じんわり涙が出る。
特に印象に残ったのは、認知症になったベニャトの母のおだやかでやさしい笑顔。怒りと憎しみをあらわにした以前の表情とは、まるで別人。認知症になり、過去が消え去るのは、しあわせでもあるのかも。
車中でルルデスとアネが揉み合い、「ドン!」という音がする場面。あたしのなかでは、このシーンが一番緊迫した。もしまた交通事故が起こってしまったら...。しかし相手は羊。しかも、すぐ立ち上がり、走り去る。羊は解放されたベニャトの魂の象徴だったのか。
最初に書いたように、この映画は全篇バスク語。スペインではスペイン語の他に、バルセロナがあるカタルーニャ州で話されるカタルーニャ語、ガリシア州で話されるガリシア語、そしてバスク語の4つの言葉がある。方言じゃなくて、独立した言語。
ざっくり言うと、カタルーニャ語はスペイン語とフランス語が混じり合ったような言葉、ガリシア語はポルトガル語に近い。でもバスク語は、ラテン文法にルーツを持たないばかりか、どこから来たかわからない謎の言語。ハンガリー語に似てるという説もあり、いや日本語に似てるという人も。かつて騎馬民族が馬に乗って、スペインに運んできたというロマンチックな説もある。フランコの時代には話すことが禁止されていた。
フランコの死後、内政が落ち着いてくると、バスク地方独立の気運の高まりとともに、「バスク 祖国と自由(ETA)」という分離独立を目指すテロリスト組織が台頭した。(現在はほぼ武装解除状態)
-----------ここから思い出話-----------
昔々、バスク地方のサン・セバスティアンに行ったときのこと。たまたま祝日に当たってしまいホテルが見つからない!まだネットもない時代、タクシーで夜の町を走り回ったが、ない。「そういえばペンションがあった気がする」。運転手さんの記憶だけを頼りにたどり着いたのは、住宅街にある普通の民家。
「もう民宿はやってないんだ」と言ったかどうか、もうよく覚えてないけど、家の主人おぼしき男性は、泊めることを渋りに渋った。
「日本から来て、泊まるホテルがなくて困ってるんだ。1泊でいいから」と運転手さんも加勢してくれて、渋々首を縦に振ったのだった。
「明日の朝、9時には出ていってくれよ。忘れないでくれ、明日の朝9時だ」
建物は新しく、部屋は小綺麗で快適、ベッドも清潔。シャワーを浴びると、倒れこむように深い眠りに落ちた。
ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!!!
翌朝、激しいノックの音とともに、男性の大きな声が響いた。
「もう9時だ。起きてくれ。昨日、言っただろう。さあ、出ていってくれ!」
顔を洗うのもそこそこに、転がるように追い出された。外に出ると、郊外の普通の風景が広がっている。団地があって、公園があって、ヒマそうな老人たちが楽しそうに立ち話をしていた。
当時、拠点にしていたサラマンカという町に戻り、友だちにこの話をした。
「そこってさぁ、組織のアジトだったんじゃない? 指名手配されてる過激派をかくまってて、気づかれたら大変だから、早く出てって欲しかったんだよ」
すっごい想像力!と、当時、関心したっけ。確かに、そうだとしたら辻褄があう。ま、昔々の思い出話だけど、バスクに関連した単語を耳にすると、いつも蘇る。
今回も、映画を観ながら、あの日のサン・セバスティアンの郊外の風景が何度も重なった。
映画で旅するヨーロッパ。