黒柳徹子さんトークショー!


「ルーマーズ」終演後のトークショーは、昭和の著名人のウラ話大会、お芝居以上に印象深かった。

「年上が大好きなんだけど、年上の男の人が見当たらなくなった。10歳下じゃ、疲れ過ぎててダメ。荷物を持ってもらうなら、25〜30歳は下じゃないと」

そんな話から始まって、いきなりイギリス王室へ。彼女にかかると、イギリス王室ですら「あそこん家」となる。カミラさん以外は、全部お会いしたんだそう。

エリザベス女王とお会いしたとき、質問してはいけないと言われたが、アットホームな雰囲気のパーティだったので、日本はテレビのチャンネルが7つありますが、と前置きした上で、イギリスのテレビのチャンネル数を訊いてみた」

「スリー!」

「女王様がいきなり甲高い声でスリー!と言い、一瞬、何が起こったかわからなかったが、当時のイギリスはチャンネルの数が3つしかなかった」

「そんなやりとりをしているときも、女王様のティアラがわっさわっさ揺れる」

そうかと思うと...。

「終活なんてしない。でも上野千鶴子先生に怒られた。行き倒れたら、誰か何とかしてくれると思ったら、大きな間違い。でも母は96歳でポックリ逝って幸せだった」

そして、世紀の名優森繁久彌さん。カンペを考案したのは、彼だとか。

「屏風にセリフを書いておいたのに、本番になってみたら、屏風がない。そこで森繁さんは威厳に満ちた声で、屏風!と一言。ズルズルと入ってくる屏風を気にするでもなく、悠然と立っていた」

「セリフを全く覚えないし、覚えようともしない。それでも、彼の演技を観て、多くの人々が涙する」

「森繁さんが88歳で徹子の部屋に出演したときのこと。本当は満州の話をするはずだったが、全然関係ないことを話し始めた。年取るといろんなことが面倒になってくるから」

徹子の部屋は生放送ではないけれど、編集は一切しない。(もしかするとこれが最後の出演になるかもしれないので)ちゃんとやってくれないと困ります!と怒ったら、突然、詩の朗読を始めた」

「当時の森繁さんは、ちょっと認知が始まっているところがあったけれど、昔覚えたことは、身体にしみついている。今まで聴いた中で、一番素晴らしい朗読だった」

渥美清さんは、お兄ちゃん的存在。私のことをお嬢さんと呼んでいた。もしボクたちが結婚して子供ができたら、ボクの顔で、キミの声だぜ、ふっふっふ、なんて言われた」

「晩年、病気だった彼に、最近、姿を見せないけど、温泉行ってるんでしょ?なんて訊いたら、彼が大笑い。奥さんが言うには、ずーっと笑っていなかったんだそう」

「こんな憂鬱な話をするつもりは全然なかった」

彼女は、そんな表現で締めくくったけど、聞いているほうは憂鬱のカケラも感じることがなく、爆笑につぐ爆笑。

無邪気、天真爛漫という言葉が、こんなに似合う人は、初めて。ここでは普通の言葉で書いたけど、すべては徹子節で語られる。

そんな中にも「禍福は糾える縄の如し」なんてフレーズが、さらっと出てくる。

「最後に一番好きな詩を朗読します。大人にならないとわからない詩です。一応、あたくしも大人ですから」と前置きして、彼女が読んだのは、ワーズワース

「草原の輝き 花の栄光
再びそれは還(かえ)らずとも なげくなかれ
その奥に秘められたる力を見い出すべし」

忘れられない時間となりました。