小津安二郎の大ファンであるヴィム・ヴェンダースが、1983年の東京で小津映画の面影を探す物語。東京を舞台にしたロードムービーとも言える。登場するのは、当時一世を風靡した竹の子族やローラー族、パチンコ屋、食品サンプルの工場など。
1953年 『東京物語』が撮影された
1983年 『東京画』が撮影された
2021年 この映画を観た年
『東京物語』から『東京画』まで30年
『東京画』から現在まで38年
1953年→1983年のほうが短いけど、東京の変貌は大きかった気がする。1953年はまだ戦後っていう印象が強い。
外国人の視点で見る東京は、別物。あたしが外国人と仕事をしていた1980年代半ば、彼らは何かというと原宿に行きたがったし(竹の子族はすでに下火だったけど)、合羽橋に行って食品サンプルをお土産に買ったりしていた。
本気で食べたくなるくらい緻密に作られているもんね。今は食品サンプルを置くお店は減った気がするけど、日本人らしい几帳面さを活かした素晴らしい日本文化だと思う。
パチンコ屋のネオンに近いものとして、新宿西口ヨドバシカメラを真剣に撮っていた外国人の姿も思い出した。これまた海外にはないスペシャルな存在。
小津安二郎といえば「おじいちゃん」というイメージがあった。が、今回、この映画を見て検索してみたら、彼は還暦の誕生日に旅立っていることがわかった。1903年に生まれ、1963年没。下の写真は1951年頃というから、48歳...。昔の人は、成熟が早かったんだなぁ。
映画の中で取材されている笠智衆は、小津安二郎よりたったひとつ年下なんだそう。年齢差はひとつだけど、絶対的な主従関係があったよう。
そしてローポジションへの小津監督の強いこだわりについては、撮影の厚田雄春がインタビューで語っていた。
あたしが小津作品を初めて観たのも1980年代前半。当時「おじいさん」的存在だった名匠についての映画を、40年近い年月を経て観る。
初めてと、懐かしさと、新たな発見が入り混じった不思議な感覚。観終わった後の超個人的な感想は、小津安二郎って強烈なこだわりと、支配的なキャラを持ち合わせていて、だからこそ『東京物語』みたいな名作が撮れたんだろう、ということ。
ヴィム・ヴェンダースからは離れちゃったけど、今になってこの映画を観るキッカケがあってよかった。いい加減、もっと大人になれよってメッセージかも(°▽°)
(敬称略)
2021/12月 @ル・シネマ