昭和フェチとしては「行かなくちゃ!」と思っていた。ただ、会期が長いと、ついつい「まだ時間あるし」と先延ばしにしてしまう。そうこうしているうちに、コロナの足音がどんどんどんどん大きくなってきた。
行ったのは、3月17日。あの日の渋谷のざわついた空気は、忘れられない。そんな中、知っている過去も、経験したことのない過去も取り混ぜて、85年間を振り返る不思議。
かつて東急百貨店西館9階にあった「東横ホール」には、イサム・ノグチがデザインした緞帳が下がっていたんだそうだ。
「東横食堂」は1927年(昭和2年) 開業。メンチボールにビフテキ、タンシチュー、オムレツなどの一品に、ご飯またはパンにコーヒーをセットにして30銭均一だったそう。今の洋食屋さんのランチセットの原形は、ここに!
アールデコやバウハウスなどヨーロッパ建築の影響を強く受けたモダンな「白亜の建物」は、東横線ターミナル駅のシンボルになったんだそう。
戦後、1951年(昭和26年) 、子供向けの遊覧ケーブルカー「ひばり号」が設置された。渋谷にケーブルカーってすごい発想!
ひたひたと感動に包まれ、この場から立ち去りたくない!とまで思ったのは、どの展示物の紹介文にも愛が溢れているから。特にこの模型は、東急トランセ淡島営業所 運転手のみなさんが昔の写真や航空写真などを駆使して作ったものだそう。愛がいっぱい。
究極の閉店のお知らせだと思う。改めて読み返すと、涙が...。
泉麻人さんのエッセイ「映画に記録された東横と渋谷風景」
1964年(昭和39年) 頃の渋谷駅東口付近のジオラマ。東京オリンピックが開催され、東海道新幹線が開通した年。ジオラマもすごいし、寄せる言葉にも感動。「今考えれば、豊かではなかったかもしれませんが、誰にも夢や希望があった時代でした」という一節で、またまたウルウル。
婦人服売場に展示されていた。
玉電ビル時代から残るものかもしれない階数表示「3」。
実際に見つけた。銀座線の進行方向一番前にあった改札口、その近くのエレベーター。今さらだけど、もう存在してないんだなぁ。銀座線の旧プラットフォーム、今でも鮮やかに記憶に残っている。
ロープウェイの運行期間は短く、2年ほど。詳細は不明だが、東横百貨店新館の建設が最大の理由と言われているそう。
涙腺崩壊直前の手作り感。
あんまり写真を撮り過ぎるのはどうかと思うけど、撮っておくと見返して気づくコトもあるし、タイムスリップもできる。そして何より、85年間渋谷に存在し続けた東横店を送り出す、愛に満ちた言葉の数々を思い出せてよかった。