◆後日談◆ 2019/09/07
代々木会館(通称エンジェル・ビル) ついに取り壊しへ。
ある晩、ラジコを立ち上げると「追悼・萩原健一 傷だらけ...」の文字。普段は聞くことがない放送局だったけど、反射的にタップ。
運命を感じた偶然。この「たまたま」がなければ、知らないまま、ビルは壊されてしまっただろう。
萩原健一特別追悼番組、俳優・吉沢悠ナレーションで8/27(火)オンエア | 文化放送 記事詳細
オサムを演じた萩原健一がこの世を去った同じ年、天使たちが住んでいたビルも解体。彼の死が報道された翌日、このビルに集まった人々にインタビューした、その模様がラジオから流れてくる。例えば、こんなコメント。
「今の時代はコンプライアンスが求められるようになった。何かといえば、コンプライアンス。もう好き放題はできなくなった」
超御意。個人情報保護法が施行が全面施行されたのが、2005年。今にしてみれば、その頃から何かと息苦しくなってきたような気がする。「昔はよかった」という大人になりたくないと前を見て生きてきたつもりだったけど、最近、昔はよかったと思うことが増えた。乱暴も暴力もあったし、いいことばかりじゃなかったけど、昔はもっとおおらかだったし、破天荒が(どこかで) 許された時代だったと思う。
「バイトしていた喫茶店の寮がこのビルの上の階にあったので、何度も屋上に上がった。香港の九龍城みたいだった」
屋上、上がってみたかったなぁ。2016年1月に行ったときは、とっくに昇れなくなっていた。
「ルートから外れた人たちが右往左往模索しながら生き抜いていくというストーリーを示してくれた。メインストリームでなくても、こうやってオレたちは生きて行けるんだっていうことをハッピーエンドであろうとなかろうと、プロセスを見せてくれた」
こんな風にコメントした人がいて、もう走っていって、抱きつきたくなるくらい共感。
天使たちが住んでいたビルに会いに行きたくなった。もう跡形もなくなっちゃったんだろうか? 代々木に向かった。
「傷だらけの天使ビル」が8月解体へ 初放送から45年…萩原健一さん死去の年に消滅/ライフ/社会総合/デイリースポーツ online
「屋上に上がったこと? ありますよ。うーん、もう廃墟みたいで、ぐちゃぐちゃでした」
解体中の建物の前で、警備員さんは話してくれた。
「『天気の子』にも、よく似たビルが登場するから、若いコたちも、たくさん来てますよ」
解体は来年(2020)の1月まで続くと言う。
◆『傷だらけの天使』◆
1974年10月〜1975年3月、日テレ系で放送。
主演の二人は当時、萩原健一24歳、水谷豊22歳。
メインの脚本家は、市川森一。
監督は恩地日出夫、深作欣二、神代辰巳、工藤栄一 などそうそうたる面々。
最終回視聴率:19.9%。