イギリス人の友達の実家に行ったとき、彼女が言った。
「日本では靴を脱いで、家に入るでしょ? 家の中をキレイに保つための素晴らしい習慣だって感動したわ。イギリスに帰ったら試そうと思ったけど、結局今まで通り。理由はよくわからないけど」
スペインでも家の中では、当然靴のまま。ホームステイ先のセニョーラは、洗濯機から出した、洗いたての洗濯物をごく自然に床に置いた。
「靴を履いたまま歩く床の上に、洗濯物を置くのはキレイじゃない」と彼女に言ってみたら、反撃された。
「あたしは磨いた床の上に、洗濯物を置いてるんだから、ここは綺麗なの。綺麗なのよ!わかった?」
スペイン人は、同じことを重ねて言うことが多く、最後に「わかったか?」と念を押す慣例も手伝って、怒っていなくても、怒っているように聞こえる。ま、綺麗好きなセニョーラとしては、譲れない一線だったんだろうけど。
日本で暮らしていると当たり前の「靴を脱ぐ習慣」。
このとき思った。理屈としてキレイかどうかではなく、理屈抜きでゆったり過ごせる自分の家では、靴を脱ぐ。つまりテリトリーの意味を持つのではないかと。
大規模じゃない企業には、靴を脱ぐことがある。ものづくり系の会社、家族経営の会社、友人同士で立ち上げた会社、そしてワンマン社長の会社等々。
もちろんイコールではない。ワンマン社長の会社でも靴を脱がないこともある。そこがおもしろいところ。
靴を脱ぐ会社は、会社に家の要素を求める傾向があるような気がする。
そういえば、昔々よく暴走族が「土禁」のクルマに乗ってた。紫のカーペットが敷き詰められた車内の風景が、ふと蘇ってきたりして。