この1週間、ずっと樹木希林さんのことばかり考えていた。
全身がんであることを告白したのが、2013年11月。それ以降、以前にも増して精力的に活動していたが、 9月15日、75歳で亡くなった。
映画「あん」の演技を始め、どこか神がかかっているところがあって、神様が樹木希林さんを守っているから、ずーっとこのまま、この世にいてくれるような、根拠もなく、そんな風に思っていた。でも、その日が来てしまった。
「ものには表と裏があって、どんな不幸に出会っても、どこかに光が見えるもの。幸せはずっと続くものではないから、自分が行き詰まったとき、行き詰まった場所だけ見ないで、ちょっと後ろから見るゆとりさえあれば、そんなに人生捨てたものではない、という風に思っている。物事をおもしろく受け取って、愉快に生きて、あんまりがんばらないで、でもへこたれないで」。
各局の追悼特集では、溢れるように、樹木希林さんの名言が取り上げられた。
「覚悟っていうのをすると、気楽ですよ。死ぬことができるという覚悟。表向きは体がついていかないけれど、心が成熟していく」。
「がんになって幸せ。健康であることに越したことはないが、それはとてもいいことだけれど、病気になったからこそ、見えてくるものがある。健康であるがゆえ、見えないことがある」。
「がんと戦うのではなく、がんと共に生きる。生と死は別物ではなく、つながっている」。
樹木希林さんが病気だというのは、医学的に見れば歴然とした事実なんだろうけど、病気という言葉のイメージとまったく結びつかなかった。そうか、それは「心が成熟」していたからだったんだ。
今年の夏、フジテレビで放映されたドキュメンタリー「転がる魂 内田裕也」。見逃していたけど、YouTubeで見ることができた。彼の生き様はすごい。「ヒットが1曲もないロック歌手」と、ご本人はあちこちで(自虐的に)語っているけれど、こんな破天荒な人は、このままいくと、日本からはもう出てこないかもしれない。筆舌に尽くせないハチャメチャな魅力...。樹木希林さんは、心底惚れていて、誰よりも彼を愛し、だからこそ誰にも渡したくなかったんじゃないか...と妄想してしまう。何があっても、あくまでも浮気。本妻はわたし。
「今日までの人生、上出来でした。私は...ふとお暇するかもしれませんが、裕也さんには おもしろかったわね、と伝えました。裕也さんの魂、転がって、転がって、転がって、どこへ行くのかな〜」。
ドキュメンタリーは、樹木希林さんのこんなセリフで終わる。真夜中、声を上げて泣いた。夜が明けても、このセリフが蘇ってきて、電車の中、歩いているとき、涙が溢れる。
そして、忘れられない「あん」の名セリフ。
「あんを炊いている時の私は いつも小豆の言葉に耳を澄ませているの それは 小豆が見てきた 雨の日や風の日を 想像することです どんな風に吹かれて 小豆がここにやってきたのか 旅の話を聞いてあげること そう、聞くんです この世にあるものは全て 言葉を持っていると 私は信じています」
「私達はこの世を見るために、聞くために、生まれてきた。この世は、ただそれだけを望んでいた。... だとすれば、何かになれなくても 、私達には生きる意味があるのよ」
ファミレスで焼肉ランチしてたら、突然、このセリフが蘇ってきて、またまた涙が溢れた。ちょうど壁に向かった席で、焼肉の煙も上がってたから、心のままに、泣いた。
そして、こんな名言も。
「時が来たら、誇りを持って、脇にどけ」。
樹木希林さんを目標に生きていくことにした。足元にも及ばないどころか、何百メートルも離れたところから、足元を見ているだけだとしても。ユーモアとともに、潔く、柔軟に。高すぎる目標だけどね。
樹木希林さん、カッコよすぎる。
追記:その1 裕也さんが都知事選に出馬したことをオノ・ヨーコさんに報告したら、返ってきたのは、この一言だったとか。
「あら、バカね」。
その2 内田裕也さんが主催するNew Year Rock Fesは、もう45年も続いているそう。まだフェスなんて言葉もなかったころからやっている。そうだ、観に行ったんだ。今はもうない浅草国際劇場。
検索したら、出演したミュージシャンのリストがヒットした。忘れていたことも含めて、みんなみんなずっと続いていくんだなぁ。