開局30周年記念 J-WAVE NIPPON EXPRESS SAUDE! SAUDADE … 30th Anniversary Carnival + 藤原さくら + ねごと + さかいゆう + NONE THE WISER + BOKANTE + 寺井尚子 + そして伝説のナビゲーター 久々の登場!

 J-WAVEが開局したのは、バブル真っ盛り、日本中もあたしも浮かれまくっていた1988年。バイリンガル・ナビゲーター、洋楽オンリーの選曲、ジングルからコマーシャルまで、どこを切ってもオシャレの金太郎飴状態。もうカッコよくて、大好きで、職場にもラジカセ持ち込んで聞いてました。あれから30年か〜。遠い目も遠い目、ブラジルまで見渡せるくらい(^_-)。

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J-WAVE NIPPON EXPRESS SAUDE! SAUDADE … 30th Anniversary Carnival】開局当時から続いている名物番組といえば「TOKIO HOT 100」、そしてブラジル音楽の宝庫「SAUDE SAUDADE...」。主催の30周年記念ライブに応募したら、あっさり当選。六本木ヒルズでブラジルの風に吹かれてきました。

 司会は番組ナビゲーターを務める滝川クリステル。スラッと背が高く、カッコよく、かつエレガント。アルファベットの大きな文字が描かれた白いワンピースをさらっと着こなすセンスのよさにため息。

 デビュー当時から番組のテーマを担当してきたSaigenjiがギター1本、体ひとつで登場。ボイス・パーカッション、アカペラ、フルートなど様々な形態で音をつくる。

 そしていよいよ、ブラジルの永遠のミューズ、ジョイスモレノ六本木ヒルズ アリーナのステージに現れた。なんと!31回めの来日、Saude...の最多出演ゲストなんだそう。

 屋外ステージはちょうどいい温度、湿度。心地よい風が吹いてくる。体質によって、タンク、Tシャツ、ジャケット、なんでもありの快適さ。本当にブラジルの匂いが漂ってきた。屋台から流れてきたのかもしれないけど(^_-)。

 伸びやかでナチュラル、オーガニックなジョイスの声。天からの贈り物だ。心の中で拝みながら聴く。大切なものは平和、音楽、そして愛、と語る彼女。本当にそうだなぁ。

 デビュー50周年、今年70歳だっていうからビックリぽん‼️ おばあさんって感じがまったくしない。あんなふうに歳を取りたいにゃ。2018/10/2 18:30〜

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 J-WAVE祭り最終日。藤原さくら観たさにフラッと行ってみたら、予想外の展開が!

六本木ヒルズ アリーナ

藤原さくらライブはフォークソングの名曲「500マイル」から始まった。思わず、うるっ...。ウィスパー的だけど、実はハスキーで骨太な声が魅力。まだ22歳。映画「若おかみは小学生!」の主題歌も担当し、名実共にメジャー・シーンへ殴りこみ! どんなシンガーに成長していくんだろう。至近距離で体験できたのは、お宝。

 そういえば「東京の人って、手拍子がめちゃ上手ですよね」って言ってたっけ。確かに、地方の公演に行ったとき、東京のほうがノリがいいって思ったコトがあったなぁ。

【ねごと】数年前、ZEPP TOKYOで観た時より、遥かに進化していて、息を呑んだ。プログレッシブ・ロックとまではいかないまでも、リズムが複雑で、ベースとドラムがうまい!特にベースは楽しそうに跳ねながら弾いているのに、驚愕のテク。バンドは成長していく。変化があって、多様性が生まれる。そんな当たり前のコトに改めて気づかせてもらった。

さかいゆうJ-WAVEで彼の曲はいつも聞いて馴染んでいたけれど、男性のハイトーン・ボイスがさほど好みじゃなく、ライブに行こうなんて考えたコトもなかった。だから今回も、ま、観ておこうくらいも気持ちだったんだけど、心を揺り動かす素晴らしい歌声だった。魂が歌に宿っているからなんだろうなぁ。そして「君と僕の挽歌」で、感極まる。交通事故で世を去った友人に向けて書書かれたことも、初めて知った。一方、ユーモア溢れるトークや、「〜するぜ!」と「ぜ」で終わる言い回しのコミカルさもステキ💕

【NONE THE WISER】大看板ナビゲーター クリス・ペプラー率いるロック・バンド。人前で演奏するのはまだ3回め、な〜んてトークで笑いを取ってから、演奏は始まった!ギターはAKBのアレンジを手がける売れっ子スタジオ・ミュージシャンと現役寿司職人、ジェフ・ポーカロに師事したドラマー、そしてクリスのチョッパー・ベースが夜の六本木ヒルズを震わせる。スティービー・ワンダーの「迷信」のカバーも演奏したりして、超満員の会場は大興奮!

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◆ JAZZ ON THE HILL@大屋根プラザ 

大屋根プラザでは、BLUE NOTE TOKYOとコラボした、ジャズ系の熱いライブが繰り広げられていた♪

 【BOKANTE】世界中から集まった腕利きミュージシャンが紡ぎだすハイブリッドなワールド・ミュージック。あたしが聞いた時は、環境音楽とジャズと呪術が混合したような音だった。フランス語のヴォーカルが印象的だったので検索してみたら、マリカ・ティロリエンというシンガーで、カリブ海に浮かぶフランスの海外県グアドループ島出身だそう。クレオールなフランス語が、魔術的なくらい神秘的。ほんのちょっとしか観られなかったのが、残念!

寺井尚子アリーナでのお目当ライブが終わり、帰りがけにたまたま通りかかったのは、運命か?! こんなにすごいパフォーマンスを体験できるなんて!そう、素晴らしいことは、ある日突然やってくる。

 ジャズとバイオリンが素晴らしい相性のよさで融合するのが衝撃的だし、ダイナミックで情熱的、躍動的。声で歌わず、バイオリンが歌い、グイグイ引き込まれる。ピアノ、ベース、ドラムをバックに彼女とバイオリンが踊る!跳ねる!巻きこんでいく。特に「スペイン」は圧巻でした。もう一度、きっちりライブを観たい。

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【そして伝説のナビゲーター 久々の登場!】開局当時からのナビゲーター、キャロル久末さんが10月1日、30周年記念番組に出演(ライブではありません)。クリス智子さん、マリエさんと生トークを繰り広げた。キャロルさんは現在、カリフォルニア州サン・ルイスオビスポで果樹園を営んでいて、農閑期にはメキシコのビーチで超シンプルに暮らしているんだそう。

 10数年前、初めて旅で訪れたとき「恋に落ちた」とか。地方に住んでいるメキシコ人は素朴。お金儲けとか、自分の利益を追い求めるんじゃなくて、家族、音楽、友達を大切にする。オープンで、歓迎してくれる。

 都会は便利だけど、過剰な消費社会であり、利益が優先される。でも生命が優先される社会でなければ、地球に住めなくなってしまう。

 キーワードは「シェア」。例えばトラクターを持っていなければ、持っている人に借りる。そうしたら「自分は貸してくれた人に何ができるだろう」と考える。

 今となってはJ-WAVEの顔、クリス智子さんが新人ナビゲーター時代に戻ったかのような初々しい声の表情を見せつつ、担当していた番組が終了したとき、キャロルさんが手紙をくれたエピソードを披露し、キャロルさんの存在が「大きかった」「すごくステキな先輩だった」と語る。

 今回の開局30周年イベントは、過去を振り返るより、未来的な視点が多かったような印象があったけど、キャロルさんたちのトークを聞いていて、過去を振り返ることが未来に繋がっていくんだろうなぁって、思ったりもしました。

 そうそう、六本木ヒルズ アリーナ近くにあった《ウィッシュ・ツリー》は、短冊に願いごとを書いて枝に結びつける期間限定イベント。集まった短冊は、アイスランドにあるジョン・レノンオノ・ヨーコによる世界平和祈願の象徴《イマジン・ピース・タワー》に収められ、永久保存されるんだそう。
 「みんな平和に暮らせて、平和が続きますように」
 平和だからこそ、ステキな感動があるんだもんね。
(一部敬称略)

 

 

樹木希林さんのこと(2) 「神宮希林 わたしの神様」+ ナマ希林さんVSヨーコ・オノさん

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 式年遷宮だった2013年、伊勢神宮をめぐった樹木希林さんのドキュメンタリー。式年遷宮とは20年に1回、社殿や神宝をすべて新しくする儀式。なぜ多額の費用をかけて、同じものを作り直すのか。願いを叶えるためではなく、感謝するだけのために、なぜ人々は参拝するのか。樹木希林さん自身が歩き、地元の人々と交流する中で、見えてくるものとは..。

 言葉の力がすごい。言霊が宿っていて。

 

「願いをかなえるための人生じゃない」。


ティッシュ1枚でも使い切る」


「十分に役目を果たしたと思えるように、始末する感覚で暮らしている」


「十分生きて自分を使い切ったと思うことが、人間冥利に尽きるということではないか」


「使い切る」。


 この映画を見てから日々生活するなかで、この言葉がしょっちゅう顔を出すようになった。例えば、手拭きだったタオルや布巾は引退後、雑巾として第二の人生を送り、大掃除で大活躍し、役目を終えるまで使う、とか。


 すべてを超越した樹木希林さんの自然体は、言葉で言い表せないほど魅力的。

 

 ある日、片付けをしていたら、雑誌の特集記事コピーが出てきた。読み直そうと思い、テーブルの上に置いたまま時間が過ぎ、旅立ちの日が来てしまった。以下、樹木希林さん語録。

f:id:megmikke:20180925002154j:image 「他人の芝生は青いもの。一見、不公平のようでも誰もが何かを背負っている。そのなかで小さな喜びや希望を見つける。なぜこんなひどい目に?と思ってもそれをちょっと脇に置いて祈る。そうして長い人生のなかで苦しみをどう消化し、どうお終いを迎えるか。私は、畳の上で死ねたら上出来」(芸術新潮 2014年5月号)

f:id:megmikke:20180925003553j:image 「自分の中には激しいマグマのようなものが渦巻いていて、20代のときからこれを抱えてどうやって生きようかと思っていたんです。そういうときに内田裕也と出会った。彼はさらに激しい人ですから、彼に触れると自分のマグマが浄化されるんですね。周囲からは『なぜ別れないのか』などと言われるのですが、そうではなく、私にとっては祈りにも似た、ありがたい存在なんです」(キネマ旬報 2014年 5月上旬号)

f:id:megmikke:20180925010514j:image 「ものたちが『十分に役目を果たして終わった』と思えるように、始末する感覚で暮らしているのです。形に残る新しいものは、めったに欲しいとは思いません。皆さん驚かれるのですが、家のテレビなんて、いまだにブラウン管ですよ。人間もそれと同じ。十分生きて自分を使いきったと思えることが、人間冥利に尽きるってことなんじゃないでしょうか」

 

「西洋的な二次論の考え方に従えば、病気が"悪"で病気でない状態が"善"。でも、一つのものに表と裏があるように、物事には善の面もあれば、悪の面もあるとわたしは思うんです。そういう東洋的な考え方が自分の体の中に入ってきて、宇宙の大きなものに対して働きかけるような、『祈り』という行為に感応していく。それが総体的にひとりの人間となって生き生きしてくるんじゃないかという感覚なんです」

 

「たとえば、この映画の中でも、私は『夫は私にとって提婆達多のようなものだ』という表現をしています。提婆達多はお釈迦様の従兄弟で、最初は同じ教団内で活動していたものの、やがて反逆し、お釈迦様を殺害しようとまでした人物です。しかしお釈迦様は、提婆達多がいたからこそ、見えてきたものがあるとおっしゃっています。自分にとって不都合なもの、邪魔になるものをすべて悪としてしまったら、病気を悪と決めつけるのと同じで、そこに何も生まれて来なくなる。ものごとの良い面と悪い面は表裏一体、それをすべて認めることによって、生き方がすごく柔らかくなるんじゃないか。つまり私は、夫という提婆達多がいたからこそ、今、こうして穏やかに生きていられるのかもしれません」

 

「お互いの八百万がぶつかり合い、最後は認め合うしかない。これだから人間は面白いんですね」

 

「"きょうよう"があることに感謝しながら生きています。教養ではなく、今日、用があるということ。神様が与えてくださった今日用をひとつずつこなすことが日々の幸せだし、最後には、十分役目を果たした、自分をしっかり使いきったという充足感につながるのではないかしらね」(文藝春秋 2014年5月号)

 

「ひとつひとつの欲を手放して、身じまいしていきたい」

 

「(内田裕也さんの) すべてが好きです」

 

 そんなことも、語っていた。

 

 2013年「ジョン・レノンの日」 に行ったときのこと。ゲストはオノ・ヨーコさん、篠山紀信さん、樹木希林さん。3人が並ぶと、もう妖気さえ漂う。

 樹木希林さんは、スタスタスタッと軽やかな身のこなしで、舞台に登場した。あたしは「ジュリ〜❣️」の時代から知っている世代。若いころからお婆さん役だった、なんだかモタっとしたイメージが子供の頃から染みついていたけど、実際の希林さんは、それはそれはカッコよかった。

  司会は某FM局のナビゲーター。
「ヨーコさんは、カンボジアに学校を建てていらっしゃるんですよね」。
 小気味良いトークで定評があるナビゲーターが尋ねると、ヨーコさんはキッパリ言った。
「そんなことを話しに来たんじゃない」。
 一瞬、凍りつく彼と会場。約2秒後。
「ヨーコさんの家系は、人の役に立つことをやり続けてきたんです。でも、そういうことを自慢しない。もしあたしだったら、旗立てて、芸能界中を練り歩きまわります」。
 樹木希林さんのフォローでホッとした会場には、笑いが溢れたのでした。

 

 


 

樹木希林さんのこと

 この1週間、ずっと樹木希林さんのことばかり考えていた。

全身がんであることを告白したのが、2013年11月。それ以降、以前にも増して精力的に活動していたが、 9月15日、75歳で亡くなった。

 映画「あん」の演技を始め、どこか神がかかっているところがあって、神様が樹木希林さんを守っているから、ずーっとこのまま、この世にいてくれるような、根拠もなく、そんな風に思っていた。でも、その日が来てしまった。

 「ものには表と裏があって、どんな不幸に出会っても、どこかに光が見えるもの。幸せはずっと続くものではないから、自分が行き詰まったとき、行き詰まった場所だけ見ないで、ちょっと後ろから見るゆとりさえあれば、そんなに人生捨てたものではない、という風に思っている。物事をおもしろく受け取って、愉快に生きて、あんまりがんばらないで、でもへこたれないで」。

 各局の追悼特集では、溢れるように、樹木希林さんの名言が取り上げられた。

 「覚悟っていうのをすると、気楽ですよ。死ぬことができるという覚悟。表向きは体がついていかないけれど、心が成熟していく」。

 「がんになって幸せ。健康であることに越したことはないが、それはとてもいいことだけれど、病気になったからこそ、見えてくるものがある。健康であるがゆえ、見えないことがある」。

 「がんと戦うのではなく、がんと共に生きる。生と死は別物ではなく、つながっている」。

 樹木希林さんが病気だというのは、医学的に見れば歴然とした事実なんだろうけど、病気という言葉のイメージとまったく結びつかなかった。そうか、それは「心が成熟」していたからだったんだ。

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 今年の夏、フジテレビで放映されたドキュメンタリー「転がる魂 内田裕也」。見逃していたけど、YouTubeで見ることができた。彼の生き様はすごい。「ヒットが1曲もないロック歌手」と、ご本人はあちこちで(自虐的に)語っているけれど、こんな破天荒な人は、このままいくと、日本からはもう出てこないかもしれない。筆舌に尽くせないハチャメチャな魅力...。樹木希林さんは、心底惚れていて、誰よりも彼を愛し、だからこそ誰にも渡したくなかったんじゃないか...と妄想してしまう。何があっても、あくまでも浮気。本妻はわたし。

 「今日までの人生、上出来でした。私は...ふとお暇するかもしれませんが、裕也さんには おもしろかったわね、と伝えました。裕也さんの魂、転がって、転がって、転がって、どこへ行くのかな〜」。

 ドキュメンタリーは、樹木希林さんのこんなセリフで終わる。真夜中、声を上げて泣いた。夜が明けても、このセリフが蘇ってきて、電車の中、歩いているとき、涙が溢れる。

 そして、忘れられない「あん」の名セリフ。

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「あんを炊いている時の私は いつも小豆の言葉に耳を澄ませているの それは 小豆が見てきた 雨の日や風の日を 想像することです どんな風に吹かれて 小豆がここにやってきたのか 旅の話を聞いてあげること そう、聞くんです この世にあるものは全て 言葉を持っていると 私は信じています」

 「私達はこの世を見るために、聞くために、生まれてきた。この世は、ただそれだけを望んでいた。... だとすれば、何かになれなくても 、私達には生きる意味があるのよ」

 ファミレスで焼肉ランチしてたら、突然、このセリフが蘇ってきて、またまた涙が溢れた。ちょうど壁に向かった席で、焼肉の煙も上がってたから、心のままに、泣いた。

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 そして、こんな名言も。

 「時が来たら、誇りを持って、脇にどけ」。

 樹木希林さんを目標に生きていくことにした。足元にも及ばないどころか、何百メートルも離れたところから、足元を見ているだけだとしても。ユーモアとともに、潔く、柔軟に。高すぎる目標だけどね。

 

 樹木希林さん、カッコよすぎる。

 

 追記:その1 裕也さんが都知事選に出馬したことをオノ・ヨーコさんに報告したら、返ってきたのは、この一言だったとか。

 「あら、バカね」。

 その2 内田裕也さんが主催するNew Year Rock Fesは、もう45年も続いているそう。まだフェスなんて言葉もなかったころからやっている。そうだ、観に行ったんだ。今はもうない浅草国際劇場

 検索したら、出演したミュージシャンのリストがヒットした。忘れていたことも含めて、みんなみんなずっと続いていくんだなぁ。

やっと涼しくなってきたにゃ〜9月のミッケ@2018

 今年の夏は猛暑。ママはギラギラ太陽の下、せっせと(ぼちぼち) 仕事をしてたけど、あたしはエアコンが効いたお部屋で、まったり(^^)v。だから飼いネコは半日やったらやめられないのにゃ😸。夏が大好きなママも、たっぷり2か月半、真夏が続くと、さすがに満足したみたい。夏の始めに聞いてた歌が、もう去年のコトみたいって言ってましゅ。

 で、あたしといえば。

f:id:megmikke:20180911232849j:image 相変わらず封筒の切れ端を見ると、寄り目になるし。 
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f:id:megmikke:20180912200916j:image 思わず、ネコパンチしたくなるし。

f:id:megmikke:20180912201128j:image 結局、陶酔するのにゃ。

 他には...。

f:id:megmikke:20180911234846j:image 寝たり。

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f:id:megmikke:20180911234931j:image 死んだフリをしたり。
f:id:megmikke:20180911234936j:image テレビを見たり。
f:id:megmikke:20180911234939j:image カメラ目線になったり。

f:id:megmikke:20180911235215j:image 黒目がちになったりしてましゅ。

 最近できるようになったのは、ドアを閉めるコト。ネコにそんなコトができるわけないって思うでしょ。でもやっと帰ってきたママが全然遊んでくれなかったりすると、引きこもり、外界と遮断されたい気分になり、お手洗いのドアを閉めたくなるんだにゃ。風のせいかもしれないけど。

 そう、お手洗いはくつろぎの場所なのにゃ。ママは便所虫と呼んだりするけど、その言葉、死語。そもそもあたしはネコなのにゃ。

 他にできるようになったのは、寝そべって毛取りしてもらってる時、自ら寝返りをうち、反対側も毛取りしてもらうコト(^^)v。

 どうにもとまらないのは、網戸で爪研ぎ 。ママと暮らし始めて5年以上、毎日注意されるけど、スキを見ては、網戸爪研ぎする毎日。いけないのはわかってるけど、わかっててもやるタイプ。けっこう知能犯(^_-)。

 デブだけど、食べ物には淡白なので、食べるのを忘れたりする。帰ってきたママが、残っているカリカリを見て、体調不良? 心配顔になったりするけど、差し出されたディナー・プレートを見て、食べるのを忘れていたコトに気づく、ほんわかタイプ。

 ん??? デブだけど淡白??? デブは余計だったにゃ(ミッケ)。

 

【ネタバレ多少あり 映画】ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス〜号泣寸前 あれからもう18年

  1997年。忘れ去られていた古き良きキューバ音楽が、ライ・クーダーによって「再発見」され、かつてキューバで活躍していたミュージシャンたちが、再び脚光を浴びた。ヴィム・ヴェンダースによってドキュメンタリー映画が作られ、アカデミー賞にもノミネートされた。その名は『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』。

 日本では2000年に公開され、大ヒット。映画に出演したメンバーたちが続々来日し、キューバ音楽のみならず、ダンスや料理、観光など、「遠くにある社会主義国」だったキューバが、大注目されるキッカケになったのだ。もちろん日本だけではなく、世界的に。

 あれから18年。何人かのメンバーは、天国へと旅立っていった。この作品『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス』は、ステージ活動に終止符を打つと決めた、残されたメンバーたちの最後の世界ツアーに密着したドキュメンタリー。

 ただし、ツアーだけのドキュメンタリーではない。亡くなったメンバーも含め、子供時代や修行時代の思い出、革命後の生活、人生観に至るまで、人生の大先輩たちの珠玉の言葉に満ち満ちている。

f:id:megmikke:20180905001825j:image 90歳を超えて再び大注目されたギタリスト、コンパイ・セグンドの言葉。「大事なコトは2つ。一つはやり過ぎないこと。チキンだって、たくさん食べたら飽きる。少しだけ食べておけば、次の日も欲しいと思うだろう。もう一つ大切なのは、愛だ。チキンと一緒だよ」。

 「ホセ・マルティは言った。人生でやらなければいけない3つのこと。木を植える。子供を作る。本を書く。オレは全部やった。人生に満足してるよ」。

 オバマ大統領がキューバとの国交を正常化し、なんと!レジェンドたちはカーネギー・ホールで歌った。歌姫オマーラ・ポルトゥオンドは言う。「オバマ大統領は黒人と白人のハーフなの。あたしと同じようにね」。

 トランプが大統領になってから停滞しているけど、時間はかかっても、キューバアメリカはきっともっと仲よくなっていくはず。もっと仲よくなっていけばいいなぁ(希望)。

 オマーラとコンパイは、2000年代前半に来日した時、ライブを観た。オマーラは一列目のかぶりつき。気高く、凛とした姿が約1.5メートル前に存在していて、緊張しまくったっけ。コンパイはお気楽でユーモアたっぷりで、客席の女のコをステージに呼び、楽しそうに一緒に踊ってたなぁ。

 映画が終わり出口に向かう途中、近くにいた若い女のコが、隣りの席の人が号泣してたと話してた。わかるわ〜、泣きたいほどの感動だったもんね。あたしはこの曲で極まった。2009年にキューバに行ったとき、帰りの便を待つ空港のロビーでこの曲が流れたときは、映画の主人公になりきった。

"Como Fue" Buena Vista Social Club - Como Fue - feat. Ibrahim Ferrer - YouTube

 ふと思っただけのコトだけど、オマーラはイブライムのことが好きだったんだな。

 彼らのラスト・アルバムは"Lost And Found"。長く生きていると、失くしていくものがある。そして見つかることもある。何を失くしたかに気づき、これからどう生きていこうかと模索する大切さを考えるタイトルに思える。

 あと18年経ったら、あたしはいくつ? これからは猪突猛進じゃなくて、ゆったりと今までやってきたことを振り返りつつ、木を植えられるように、1日1日を大切に生きていきたい。

 たまたまラジオから流れてきたこの曲を耳にしなかったら、この映画は見過ごしちゃったかも。ちょっと運命的なものを感じたりする今日この頃。でもこの曲、エレガントでトロピカル、ステキな曲だけど、歌われているのは奴隷の嘆きなんだよね。この映画では、キューバの歴史も語られている。明るくて、音楽に溢れているイメージの国だけど、厳しい過去もあった。

そして、次の世代へと受け継がれていく未来も描く。抱きしめたいほど愛おしい映画。

"Bruca Manigua" Buena Vista Social Club - Bruca Manigua - Live - feat. Ibrahim Ferrer - YouTube

(敬称略)

追記ポルトゥオンドと入力したら「ポルトゥ音頭」と変換され、思わずクスッ。でも音頭で検索したら、実にオマーラにピッタリ!

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【ライブ】Amazons 贋物天国から30年の時を超えて

 1曲めは「夢で逢いましょう」。一気に30年前に逆流した。

 1988年、バブル華やかなりし頃、1枚のアルバムが出た。その名も「贋物天国」。歌っていたのはAMAZONS。今にして思えば、おおらかで、お金が溢れていた時代だったからこそ、作られたアルバムだったのかも。とにかく歌が上手。アレンジも緻密。凄まじく完成度の高い作品、かつマニアック。コーラス・ワークが絶妙なんだにゃ。当時の日本を皮肉った歌詞もインパクト大。

 大好きだったのに、なぜかタイミングが合わず、今回が初ライブ。これまた初のMotion Blue Yokohamaで。

f:id:megmikke:20180902154626j:image Big Horns Bee とのコラボ。厚くて、キレもパンチもあって、豊潤なAMAZONSのハーモニーとブラス・バンドって、とっても相性がいい。サイコーに心地いい。ひさしぶりにグラディス・ナイトを思い出したりもして。
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f:id:megmikke:20180902154622j:image 「贋物天国」。タイトルは、日本人が歌うソウルのコピーなんて、みんなニセモノって発想からつけたんだそう。30年経って知った由来、腑に落ちました。

 彼女たち、上手過ぎるのかもしれない。古くはおニャン子、今ならAKB系、日本で売れるガールズ・グループは、ユニゾンが主流。上手過ぎるシンガーは、いまひとつ上がりきらないってジンクス?もある。福原美穂とか。世の男性たちが女性に子供っぽさを求めるからじゃない? なんて説もある。

 年内にアコースティックなライブも予定しているそう。また別の魅力が味わえそうなので、観たいな。

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夢で逢いましょう https://youtu.be/z4nfhMYVFOI

"It's Bad" 田原俊彦+久保田利伸と共演 夜ヒットの映像 https://youtu.be/ZGdeTk1XQFE

タイムシャワーに射たれて 久保田利伸 https://youtu.be/dTEZLqKhT4E

f:id:megmikke:20180818235348j:image ところで、ひさしぶりのミナト横浜。お散歩も堪能。日本大通り駅から赤レンガ倉庫へ向かう道も、旅情とレトロに溢れてた。
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f:id:megmikke:20180818235433j:image 赤レンガ倉庫。
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f:id:megmikke:20180818235620j:image 帰りはシーバスで。ほぼほぼまわりは外国人観光客ばかり。自分が観光客になった気分。香港にいるみたい。
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f:id:megmikke:20180818235902j:image 懐かしかったなぁ、Yokohama。2018/8/5 

 

「鳥つね 自然洞」テレビでも紹介された伝説の親子丼だったが...。

 行列が出来ているのを度々目撃、以前から気になっていた末広町の「鳥つね 自然洞」。

 その日は11:25に店の前を通りがかった。行列の人数は7〜8人。11:30開店。並んじゃおっと(^_-)。  

 本当は「かつ丼」(1100円) にするつもりだった。が、入店し、注文が始まると、全員が特上親子丼(1600円)を頼んでいく。限定20食。迷ったが(ええかっこしいなので)「カツ丼!」とは言いにくく「特上親子丼」を注文。

f:id:megmikke:20180725113826j:image お吸い物をいただく。最初の一口で、上品なおいしさが口の中にひろがる。親子丼も美味だと確信した。

f:id:megmikke:20180728224900j:image やってきました、伝説の親子丼。

 昔々、バブルのころ、日本橋の「玉ひで」に行ったことを久々思い出した。2時間以上並んだ記憶がある。経年変化、実際には30分位だったかもしれないが、とにかく並んだ、並んだ。で、お味は?というと、親子丼フェチでもなく、親子丼巡りをしているわけでもなければ「普通においしい親子丼」だった。

 今回もそんな感じ。味覚がお子ちゃまだから、名人芸とか、玉子の火の通りの微妙さ加減とか、わからないというか、気づけないというか、ネコに小判というか。ニャ〜😽。

f:id:megmikke:20180725113727j:image お手洗いに行くと、やはりここにも国際化の波が押し寄せていて、中国語で注意書きが貼ってあった。

 この日の晩ゴハンは、モスバーガー。なんだかやたらと、わかりやすいものが食べたくなった。ホント、どこまでお子ちゃまな味覚なんだか(^_-)。

 

 

(自慢の) iPhoneX 文鎮化するの巻【大長編】

 昨年12月、iPhoneXを入手してから、つい最近まで、幸せだった。高速なレスポンス、液晶を超えた有機ELの超キレイなディスプレイ、ハイエンドモデルを持っているという優越感(°▽°)。

 しかし、台風13号が東京を直撃する可能性が高いと天気予報が繰り返し伝えていた8月8日の午後、タッチパネルが反応しなくなった。実はその数週間前にもタッチパネルが反応しなくなったことがあったんだけど、すぐに復活したので、すっかり忘れてた。

 今回はなかなか復活しない。台風で仕事が早上がりになったので、帰りにApple Storeに寄ってみた。

 店員さんはとっても冷淡。

 そもそも予約が前提。今日は予約でいっぱい。今からだとネットで予約が取れるのは1週間後。最短で対応するためには、明日の10時の開店と同時に来て、予約券的なものを入手したら、メールを待つ。メールが届いたら15分以内に来店しないと、キャンセルになるという。メールが届くまでどのくらいの時間がかかるかは、ハッキリしないが、夕方になるかもしれない。

 といった内容を小出しに伝える。訊かないと説明しない。見ためも無機質でアンドロイドっぽいが、話す様子にも感情がまったく感じられず、ロボットみたい。

 いくら外回りの仕事とはいえ、これはムリ。早々に見切りをつけて、新宿西口のビックカメラへ。ここには「Apple 正規サービスプロバイダ」があるのだ。

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 窓口のおにいさんは若いが、どこか昭和の香りが漂い、体育会系で、わかりやすく修理の流れを説明してくれた。Apple Storeのアンドロイドは、ネット予約は1週間後と言っていたが、最短でお願いすると、明後日のApple Storeの予約が取れた。めでたし、めでたし。

 しかし翌朝、突然iPhoneXが息を吹き返した!初期化できれば、完全復活するかも? 慌てて飛び起き「工場出荷時の状態に戻す」を試してみた。無事完了。普通に使えるようになったので、修理の予約をキャンセルしたが、復活後36時間で、再び完全文鎮化。

 こりゃ、修理依頼するしかないと腹をくくり、ビッグカメラを再訪。対応してくれたおねえさんが言う。

「これじゃ、不便ですよね」。

 不便というよりは、使えないのにゃ。

 Apple Storeは、基本的にその日中に修理完了だが、サービスプロバイダは、5日間程のお預かりになる。ただし、その間、代替機を貸し出してくれるシステム。

 修理料金は、購入後1年以内で、水濡れ・破損など過失がなければ無料。過失があり、Apple Care+ に加入していないと、ディスプレイ修理はにゃんと!31,800円🙀😱🙀😱

 Apple Care+ に入っていれば3,400円だけど、Apple Care+ が2年で22,800円だからね〜、うまく出来ているというか、にゃんというか。

 隣りに座ったお客さんは、水濡れ。内部までたっぷり水が入っていて、本人も観念していたよう。お代は41,000円。ビックカメラのポイントが5,000円貯まっていたので、差し引き36,000円。

 あたしのは水漏れも破損もなく、めでたく無料と判定していただけました。

 しかしApple の工場がお盆休み。Appleとお盆という単語は結びつきにくいが、戻ってくるまで10日ほどかかるという。

 修理は案外早く完了し、1週間後、ビックカメラから修理完了の電話があった。出向くと、担当のおにいさんは、こんな風に説明した。

 「タッチパネルが反応しなかったので、ディスプレイ交換を依頼したのですが、ディスプレイを交換しても症状が改善せず【新品もしくは新品同様】の製品をお渡しすることになりました」

 ツッコミたい気分がムクムクこみ上げた。

 新品同様って?

 おにいさんによると、一般的に欧米のメーカーは、交換用の機種を別途作っているそう。また一度でも電源を入れたら「新品」とは見なされないので、何らかの理由で電源を入れてしまった機種を、交換用として使うこともあるらしい。

 ただ、新しいiPhoneXが、どんな過去を持っているかは、ナゾのベールに包まれている。Appleって、ヒミツ主義だからにゃ〜。

 加えて、iPhoneの耐用温度は0度〜35度なんだそう。今年の東京は暑い。連日最高気温35度超えの時期もあった。39度を記録した日も、あたしはiPhoneXとともに、秋葉原にいた。暑さのせいか?!修理要請は増えているという話も耳にしたことがある。

f:id:megmikke:20180822211429j:image 購入後1年以内だったので0円だったが、もし1年過ぎてたら、にゃんと!65,664円。運がよかったと言うべきか、言わざるべきか...。

 購入から8か月。ディスプレイの問題ではなく、内部的に壊れて交換になったっていうのは、iPhoneX いかがなものか?!って思いはある。iPhoneは4台めだけど、今までこんなことえはなかった。たまたまなのか、あるいは進化し過ぎたのか...。

 文鎮化していた数日間、一番不安だったのは、電話☎️。先代のiPhone6を持ち歩いていたので、Wi-Fiがあればネットに繋がる。プチ・デジタル・デトックス状態(^_-)みたいなもので、ま、それもいいかなって感じ。

 ただ、両親も高齢だし、電話したら繋がらなくて気が動転したりすると大変。「こういう状況だから、電話が繋がらなくても心配しないで!」と伝えたけど、不安は残る。

 OCNのIP電話番号を持っていたコトを思い出したが、それにしたってWi-Fiがないと繋がらないしね。

 先代のiPhone6(キャリアはソフトバンク)がSIMフリーだったら、SIMを差し替えるだけなので、全然オッケーだった。で、調べてみたら、ソフトバンク回線を使う格安SIMも登場していたりもするし、非常時に備えて、いろいろ情報収集しておこう。

 結論。最新機を所有するのもいいけれど、スマホは単にツールと割り切って、もっとカジュアルな機種で十分かもしれない。

◆オマケ◆ 修理に出す際「保護フィルムは破棄となりますがよろしいですか?」と訊かれた。100円ショップ出身ではなく、3000円もしたのでゴネたくなったが、どうしようもない。「新しい保護フィルムを貼ってお渡しできますが、いかが致しますか?」。

 値段は3200円位だったと思う。でもその時、あたしは強烈に抗いたい気持ちになったのだ。ブチキレる人が増える昨今、世の中の雰囲気は確実に悪くなっている。怒るならもっと意味を見いだすべきだ。こんなコトで怒ってはいけない。自分自身と戦っていると、女性スタッフはこう続けた。

 「今回貼らせていただくフィルムは、画面をフチまでカバーします」。後で振り返ってみると「画面をフチまでカバー」が、キーワードだった。1000円くらい節約するため、あたしは売場で保護フィルムを買い、有料(税抜500円)で貼ってもらう道を選んだのだ。

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 「画面をフチまでカバー」する廉価なTPUという保護フィルムを購入(税抜1470円)し、有料で貼ってくれるカウンターへ。貼られて戻ってきた時、若干シワがよっていたが「だんだん馴染んで、平面になります」と言われ、信じた。

 しかし数時間もすると、信じられないコトが起こった。保護フィルムがめくれてきたのだ。最初はそれでも健気に布で拭いたりして、せっせと修復を試みた。しかしながら、事態はますます...。

 「ケースが干渉している可能性があります」。

 (文句を言いに) 再訪すると、スタッフのおにいさんは言った。

 だとしたら、フィルム貼りを依頼した時、ケースと一緒に預けたのだから、なぜそのとき言わないのか? このフィルムと今使っているケースは、合わないと。

 大人気ないと思いつつ、多少語気を強めると前回の会計はキャンセルになった。あんまり言いたくないけど、言わないと、動いてくれないのよね、世の中全般。

 おにいさんと一緒に新しいフィルムを買いに保護フィルム売場へ。「画面をフチまでカバー」はしないタイプのガラス保護フィルムを勧められ、購入。税抜1360円。安価なガラス保護フィルムもあるのね。何やってるんでしょう、あたし。

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 気泡もゴミの一つもなく、見事にピッタリ貼られたガラス保護フィルム。今回は剥がれることもない。今日は8/20。iPhoneXが不調になって約2週間。いろんなコトがあったなぁ。 けっこう疲れたのにゃ😽

f:id:megmikke:20180822192938j:image これが新しいiPhoneX。見た目はまったく変わらない(^_-)。

【映画】カメラを止めるな!何も検索せず、予備知識なしが前提。

 「強烈におもしろい。予備知識なしで観るのがオススメ」。そんなウワサをそちこちで耳にして、観てきました「カメラを止めるな!」。

f:id:megmikke:20180815141242j:image D級ホラーが始まったときは、ありゃりゃ〜🙀 と思ったけれど、そんなの序の口の序の口。あたしの想像力なんて、ハナクソ。予測不能な大展開が待っていた。こんな映画、観たことない。
f:id:megmikke:20180815141246j:image TOHO CINEMAS なんてめったに来ない。TCXというデカいスクリーン(499席+車椅子用2席)は、大迫力。
f:id:megmikke:20180815141250j:image 先行上映は昨年11月、新宿K's Cinemaともう1館、たった2館で始まったという。それがパンデミック的に大拡大上映となり、現在は100館以上で公開中。すぐ満員になってしまうので、現在「最も観るのがむずかしい映画」と言われているとか。

 今はゴハンでも、映画でも、旅行でも、何でも事前に情報を得て、実体験は予定調和になってるコトが多いから、新鮮なのか。

 加えていえば、映画へのほとばしる情熱を感じる作品なんだにゃ。思い出すだけで、じーんと涙が滲んできたりする。

 はい、何も検索せず、予備知識なしで、観に行きましょう。

 

マーチエキュートは奥が深い〜人気のカフェ・レストラン 2013プラットホーム 1935階段 赤煉瓦 20世紀+21世紀=オシャレ

 かつて、中央線の神田-御茶ノ水間に「万世橋」という駅があった。1912年(明治45年)に完成した初代駅舎の写真を見ると、レンガ造りのそれはそれは立派な建物。が、残念なことに関東大震災で消失。1925年(大正14年)、2代目駅舎が完成したが、須田町交差点が移転したため、駅前は裏通りになってしまう。そして1943年(昭和18年)、乗降客減少のため、万世橋駅は休止に。しかし!2013年9月、不死鳥のように蘇り、マーチエキュート神田万世橋が開業したのであった。参考:https://www.ecute.jp/maach/about.html

f:id:megmikke:20180717004719j:image 秋葉原方面から歩いていくと、赤煉瓦の建物が見えてくる。
f:id:megmikke:20180717004723j:image 神田川に沿って続くデッキ。奥まで歩いていくと、気分爽快な喫煙所あり。

f:id:megmikke:20180717004730j:image 反対側にまわると、レトロな赤煉瓦が続いている。

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f:id:megmikke:20180717004838j:image レトロと21世紀の融合がステキ。
f:id:megmikke:20180717004841j:image マーチエキュート内、人気のカフェ・レストラン「フクモリ」でランチ。接客はいまいちだったけど、上を中央線が走っているはずなのにほとんど振動騒音なく、快適。
f:id:megmikke:20180717004834j:image 
f:id:megmikke:20180717004830j:image 雰囲気がいいのに、お値段はリーズナブル。

 これだけかと思ったら、大きな間違い。あたしは気づかず、1回めはここまでで帰っちゃったんだけど、マーチエキュートの名物は1935階段と2013プラットフォーム。以下、旧万世橋駅公式サイト http://www.ejrcf.or.jp/mansei/ より抜粋。

 “かつて、中央線の神田~御茶ノ水間に、明治45(1912)年に開業した「万世橋駅」がありました。昭和18年に休止になりましたが、赤レンガの万世橋高架橋の中に、ホームや階段など、駅の施設が一部残っていました。
「旧万世橋駅」は、これら駅の遺構を再生し、歴史的価値ある遺構を随所にご覧いただける施設です。開業当時の姿をほぼ留めた「1912階段」や、交通博物館開館時に設けられた「1935階段」をはじめとする遺構を公開するほか、旧万世橋駅時代のプラットホームにデッキを設けた“2013プラットホーム”には、フリースペースやカフェがあります。 このほかにも、万世橋駅の足跡を今に伝える展示も実施しています。”

f:id:megmikke:20180815005031j:image というわけで、2013プラットホームに上がってみると、いきなりレトロな駅名表示。

f:id:megmikke:20180815005025j:image 遺構が21世紀に蘇る!
f:id:megmikke:20180815005020j:image プラットホームからは、走る中央線が目の当たり。手が届きそうな距離。
f:id:megmikke:20180815005044j:image 人工的にならない程度、ほどよいグリーン。
f:id:megmikke:20180815005036j:image 遺構とコラボ。

f:id:megmikke:20180815005151j:image いろんな方向から中央線を撮ってみる。
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f:id:megmikke:20180815005145j:image 両方向から走ってくるのを撮るまで、けっこう時間がかかった。
f:id:megmikke:20180815005130j:image 拡大すると、レトロな写真がたくさん!懐かしい全身オレンジ色の中央線も(^^)

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f:id:megmikke:20180815005241j:image 1912階段と1935階段があるんだけど、どっちがどっちだったか...(°▽°)
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